Sakura Mohilaとは?商品紹介展示販売会業務日誌お問い合わせ
Sakura Mohilaとは?
  歴史
  村の小学校
ショミティの女性達
  生産する人達
サクラモヒラ通信
 
-日本語-
 No 9
 No 8
 No 7
 No 6
 No 5
 No 4
 No 3
 No 2
-English-
 No 2
 No 1
   
 
No 11. July 31 〜 August 15、2008

8月のダッカの公園の管理事務所
 
 サイクロン「シドル」以来、バングラデシュに行く人が増えたような印象を持つ。大使館に査証の申請に来る人で窓口が混み合っている。どのような用事で行く人たちなのだろうか。10年前に初めてダッカに行った時、おみやげ用の古着の大荷物を両手と背中に抱えて、さながら三昔くらい前の日本を再現しているような風景があった。いつしかそのような風景が消えて、そのかわりに、ビジネス風の男性、学生たちが目立つようになった。大きな荷物を持っているのは日本人ではなくバングラデシュ人である。家族や親戚のおみやげなのだろうか。日本も含めた外国で働く人が増えた。空港では流暢に巷の日本語を操って、携帯電話を使い、中古車を商っている人もいる。ダッカの富裕層が暮らす地域を見ると豊かで、支援など必要なのだろうか、と思うくらいである。事実、初めての年には日本からあれも、これも持ってきて、と言っていたのに、今はお豆腐でさえダッカのおしゃれな場所では手にはいるようになった。ダッカは衣料品が豊富で、お金のある人たちはほんとに豪華に着飾っている。途上国のステイタスを証明するのはダッカに限って言えば、下部構造の不備、タクシーの粗末さ、渋滞、ほこり色のリクシャ、ポンコツバス、通りの物乞いの人たちだ。1950年代の東京の光景かもしれない。
 テレビでもバングラデシュのスラム街に住む人たちがBRACKというNGOが運営するマイクロクレジットの制度の恩恵を受けて、自分たちでビジネスを立ち上げ、それによって「日本からの援助はもういらない」と力強く主張する女性を映し出していた。その数か月前には、民放で、同じダッカの貧民街に住む少女の撮影をし、少女が「お父さんが暴力を振るってお母さんや家族を捨てて行ってしまった。少し援助してくださると、学校に通って字を教われるのだけれど」とレポーターをつとめた女優に頼んでいた。その女優は「貧乏はかわいそうだけれど、そこから抜け出るのは個人の努力も必要なことなので断った」と答えていた。テレビの番組では、馴染みのバングラデシュの光景が映しだされているけれど、番組が伝えようとする内容は私が体験したバングラデシュとはやや違うような感じがする。テレビの中で共感できる場面があるとしたら、停電が頻繁に起きる新設のきたない(失礼!)工場で、汗とほこりにまみれてミシンを踏み、粗末な縫製の衣類を生産して、カセグタメナラガンバルゾ!という絵を生きる労働者の人たちだ。アメリカに向けての輸出商品だということだ。アメリカはサブプライム・ローンの破たん以来、景気が低迷し、人々は衣料品の質を下げて買っているので、そのことがバングラデシュの衣料産業に追い風となり、衣料産業はアメリカ向けの輸出で空前の景気を謳歌している、と新聞に書いてあった。そのとばっちりとでも言うのだろうか、私たちが生産を頼んでいる業者も輸出用の作業が忙しい、という理由で私用の注文の納品は1か月半遅れ、しかも縫製を急いだという後遺症がありありと残っていた。とにかく、夏物が夏のセールを過ぎようとするころにやっと届いて、かろうじて販売会の棚に2日ほども、並べることができた。0日よりはましだと考えることにしよう。
 ダッカの経済が向上しているのはどんなに目の悪い人にも明らかで、新しいビルの建築や店の開店や小奇麗な車は、信じがたい勢いで増え、まさに途上である状態を実感できる。ただし、これも新聞の受け売りだが、貧富の差が激しくなり、富裕層と貧困層が増えたのだそうだ。探し出せば、日本には日本の、バングラデシュにはバングラデシュなりの問題があろうけれど、10年も行き来していると、どちらも自国のように感じて、それぞれに胸が痛んだり、怒りを感じたり、安堵したりである。バングラデシュに滞在している期間に北京オリンピックが始まったけれど、バングラデシュでは自国の選手がいないので、人々はさして強烈な関心もないらしく、淡々と普段の生活が進行しているようであった。
 

制服を着た子どもたちとハク氏(右)

教師たち

 小学校はこのまま育ってほしい。皆、安心して勉強している。日本からの援助が打ち切られるという心配も村人たちになくなり、毎年2回日本人が来て、教師たちの給料を払い、学校運営に支援金を提供する、という慣例が村の恒例行事として定着した。実は、初めから懸念していた美術の教師の高額の報酬だが、案の定、音楽の教師も彼と同額の給料に値上げすることになっていた。美術の教師の高額な給料に対して私は初めからよからぬ未来図を描いていたが、その時のハク夫人の説明はこうである。「バングラデシュには美術の教師がいない。彼は貴重な存在だから給料も高いのだ」。音楽の教師はそれに合わせて高額を要求してくることはないですね、と念をおしたらきっぱりと、ない、と言い切った村の教育係、アンワーも圧力に負けたのだろうか。申し訳程度に、給料の値上げはもうないということで、今回の値上げを了承してほしい、と言ってきた。決まったものは仕方がないが、責任を持つべき立場の者が便宜主義的にその場限りの取り繕いの説明をしては事実の把握ができない。かようないきさつがあってからというもの、どのような事柄に対しても、必ず証拠となる文書を残し、きちんと複数人に確かめるということを心掛けるようにしている。しかしこれは「だから私が言ったでしょう」というバングラデシュ側の不満の声付きである。だが経験上、便宜上の説明を拝するためには、臆せず答えるのだ。「私が自ら確かめます」しかしこのプロセスは私にとっては骨の折れる作業だ。彼らが私から預かって支払った金銭の記録は全部、私が用紙を作り、記帳し、彼らのサインをもらうまでにしなければならないし、なにか新たに始める時には現場の人に再確認しなければならない。日本人だからこのように思うのか、資金を提供する者だからそう思うのか、また、そのように無礼ともいえる確認のプロセスが正しいことと言えるのか、判断はつきかねる。よくは知りえない現地の状況を察して決定するのは、現地側の責任で処理してほしいが、必要であると要求しさえすれば資金が提供されるバングラデシュ側は、お金を簡単に捉える傾向がある。自分が稼ぎださねばならぬお金だったら、よく考えて効率よく使うことだろう。しかしながら、双方に満足いくように考えることで、それが日本のやり方を押し付けることであっても、お金の流れを記録として残し、正確に把握できるようになって、私としてはほっとしている。
それとは別に、小学校にはハーモニアムを練習して弾けるようになっている少女たちも何人かいるし、絵も伸び伸びと描いている。一般の勉強に関してもよい成績が出ている。絵の教師が、「水彩絵の具と紙がほしい」と言ってきた。もちろん、教材はできるかぎりふんだんに備えたい。   
 本も備えたいけれど、今はまだ食べ物に代わってしまう。村の教育係のアンワー・ホッサンが、「食べ物が配られる、恒例の日本人が来る日にはどこからか学校に属していない子どもまでも集まってきて、混乱するので、後日、普通の日に配ることにする」と電話で言った。食べ物と言っても、たかがどこにでもあるようなミルク入りのビスケットが1パック配られるだけだ。それを目当てに学校の区域外から8月の日差しの長い道を歩いてくるのだから、健気なものだ。「食べ物は多めに用意して配ってください」と言ったら、400人分のビスケットを用意してくれていた。子どもたちが喜んでいた。地元のビスケット屋さんのほくほく顔も見たかったなあ。
  顔なじみになった子どもたちも何人かいて、少し覚えたベンガル語が大いに役に立つことになった。彼らはさらに地元の言葉を教えようとして、サクラ・モヒラの女性たちの仕事場へ向かう道すがら、草、果物、花を見つけては、一生懸命に土地の単語で説明してくれた。(残念なことに全部忘れてしまったけれど・・・)今度は本もぜひ、おみやげにしたい、といつものように思うのだ。
  前回の訪問で、校長先生から「制服のない子に制服を買ってほしい」という要請があり、今回は55人に制服を支給することになった。地元のテイラーがやってきて、背丈のみの寸法を取っていた。どうせ、着回しだし、子どもの成長の早さを考えたら、形式的に桃色のメジャーを垂れ下げて、適当に数字を読めばそれで用が足りるのだろう。後で、校長先生がアンワー・ホッサンの家で遅いお昼を食べている私たちのところに礼にやってきた。校長先生は、白髪が増えて、年をとった(自分も同じことだけれど)。
  学校はコンサート、ビスケットの支給、絵の展示、ハクご夫婦と日本人の来訪という1年に2回のイヴェントの日で、村の若者はおろか、親や親戚が集まって、それを当てこんでかどうか、ピーナツ売りのおじさんまでもがイヴェントの構成員となり、学校が地域の人たちの場所になる日でもあった。毎回、そのようなことを繰り返して、日本側と村の人たちの双方の間で肩の力が抜け、親戚同士のように安心の関係ができるのだ。
  それは平和なよい光景だけれど、私の学校の子たちは一日3時間程度の2部制の勉強時間である。電気もないし、なんだかんだと休みも多い。世界の中で、また都会の学校でさえも、コンピューターの普及が問題となっている時に、本どころか、電気さえもないのだ。2004年に校庭に植えた果樹は南国のペースで茂り、枝を張って、私としてはロマンチックに果樹の木陰で読書に夢中になる子どもを思い描いているけれど、果樹の周りには盗難や家畜から防止するための鉄条網が施され、子どもたちの大半は栄養不足で小さく、本よりも食べ物に興味がある、という現実がある。都会の子どもたちには、同じ公立学校でももっと多くの文明の特典があるだろう。だが、私の学校の子どもたちは、このまま、世の中の競争の中にさらされていく。
  バングラデシュでは、公立学校に英語の先生が配置されているそうだ。都会の子はその恩恵を受けて、日本の子どもよりも英語が流暢だ。私の学校はそのような当たり前の権利さえも享受できない場所である。長年村の人たちとかかわった今、私は彼らの親戚のごとく、彼らの側に立ち、味方になる。「英語も、音楽も、美術もさせてあげてください」実は、当方の懐具合はかなり心細いし自分の力量に自信もない。しかし、そのような時には、自分が目標とするモモタス・カレック夫人を想い、自分を奮い立たせる。彼女のことは、レポートの#7と#9で紹介したが、彼女は自分の財産をダッカのストリートチルドレンのために捧げ、公立学校はおろか、私立の学校さえも羨むほどの質の高い教育を無料で1000人以上の子どもたちに施している。200人の規模の時にはできたが1000人になったら食べ物があげられない、と悔やんでいる76歳の女性である。施しだからと、最低の教育を授けて、満足しているのではなく、できる限りのよいものを、ストリートの子どもたちに与えようと自然体で考えている婦人は、地味ないでたちながら立派さが風のように彼女の身体を包んでいる。

  2009年、3月9日からの「クリエイターズさいたま」というグラフィック・デザイナーの会の展示会に、またナラヤンプール村の子どもたちの絵が展示される。今回で、3回目の展示となる。(場所:埼玉県近代美術館、北浦和駅下車。入場無料) 

  奨学生・モニールとアムジャドの二人が私たちの帰国の当日、訪ねてきてくれた。モニールは経営学を勉強していて語学に興味があるらしく、英語もかなり達者なうえに、日本語を学び始めていた。二人とも成績はよく、こちらが訊きもしないのに、「日本人は信頼ができるというのはほんとうにそうだと思った。自分も日本人のようになりたいし、村の子どもたちのために役に立ちたい」と語っていた。日本人はバングラデシュでは信頼できる国民として定着しているのだろうか。日本人のようになりたい、と彼らに言わしめるバングラデシュの大人たちよ!胸に堪えることはないのかな?二人とも「このお金がなかったら大学が続けられなかった」と必ず感謝する。

子どもたちの絵による絵葉書、もう少し残っています。英語版はなくなりました。
お便りをなさる方はぜひお使いください。楽しい絵ですよ!(8種類 1セット ¥800)

 


縫製の作業場

  今回は互助会の写真がない。ちょっとしたハプニングがあった。前回で書いたが、サク ラ・モヒラの女性たちはプール資金の中から、現金がほしい。私のお金から、というハク夫人の説明だったので、失礼先番とばかりにはねつけたのだが、よくよく話してみると、自分たちの積立金の増えたお金がほしい、という話だった。それならば話にのろう、ということになり、彼女たちの積立金の利息分くらいを現金で返すことになった。鬼門に入った一人の分は少し上乗せして遺族にお返しすることになった。話し合いが始まろうとしたとき、一人のメンバーが、目の中に怒りをいっぱいに表現して怒鳴り込んできた。村長さんが同じように怒りの声を、黒ずんだ歯の隙間から彼女に浴びせ、怒りの言葉のやりとりが5分くらいも続いた。他のメンバーたちは、怒るでもなく、笑うでもなく、やりとりを無表情に静観しているだけだ。アンワー・ホッサンが呼ばれ、怒りの言葉のやりとりはとりあえず治まった。それに続いて、アンワーのリードにより、利息分のリターンが淡々と決まったのだが、私は自分の利息を取ってはいけないのだそうだ。でも、その中からリーダーさんの給料を払いたい、と内心で思うのだ。そして徐々に援助資金を引き上げたい、と密かにタクランデイルノダ。情が絡む今となっては、「してあげません」というのは勇気を要するが、慈善は自国のお金持ちの人たちがしたらいいことだ(と実情を見れば見るほど思うのだ)。私は稼ぐためのお手伝いはするけれど、依存の助長をするのはお断りだ。これは、村の10年目の経験から学んだことである。
 前述の婦人は借りたお金が返せないので、積立金の利子の戻りで返済したいのだそうだ。それを村長さんは、借金を返済したら取り分を返す、とやり返し、あの激しい言い争いの言葉のやりとりがあったのだそうである。お金を提供している私はほんとに恐ろしく、時の経過をひたすら長く感じているのみであった。かくして、皆、なかよく「はい、写真」の場面がなくなってしまったというわけだ。
 あの怒りの目の女性は今頃どうしているのだろうか。バングラデシュの富裕層の婦人たちは、家族や親戚のためにはふんだんにお金を使い、あまったお金を慈善として小さく差し出し、アラー神の御前に賢女である自分をアピールするが、汗を気前よく提供し、最貧層の人々の生活向上に尽くしたら、もっとアラー神の覚えがよくなるのではなかろうか。
 互助会の年配の婦人たちとは別に、若い女性が中心の縫製のプロジェクトは、なんだかんだ、と言いながらもかたつむりよりも遅いペースで前進している。こちらの願いは、彼女たちが地元で稼ぐことだ。そのために応援しようと思っているのに、現実は、失敗しても作りさえすれば支払われる日本の仕事がほしい。それで、今回は、そのような援助の形を変えることにした。「できの悪い仕事は払いません。」
 
 4台買ったミシンのうち1台は壊れたそうだ。地元のミシン屋さんが、もはや修理は不可能だと言って、持っていったそうである。3台のミシンの1台は調子が悪いということで、リーダーさんが、「1台を修理し、もう1台を買ってほしい」と言ってきた。もちろん、「稼いでいるのだから、修理費は自分たちで出してください。ミシンは仕事がきちんとできてから、買うかどうかきめることにします。とりあえず、仕事は誇りを持ってしてください」というのが答えである。
 まずは注文の品物はきちんと作り、なるべく早く送るようにと頼んだら、女性たちは忙しい時期だ、とハク夫人が言う。9月に入るとラマダンになり、その前後は食べ物作りや祈りなどに捧げる時間が一日の時間を占領する。ラマダンの時は空腹で仕事ができず、日本だと一人で5時間も働けばこなせる仕事量を、大勢で数か月もかかってこなし、あたりまえの金銭の要求をしてくるが、これには腹を立てた側の負けである。なぜならそれがバングラデシュであり、日本の文化圏とは違うのだ。一応、「だれしも忙しいのは同じだ」と答えはしたが、自分のお金を提供してあくせくと無料で働き、「この仕事の質の悪さはなんですか!」と怒鳴る支援者を尻目に、彼女たちは人間的な生活を優先させることだろう。

 彼女たちが作ってくれるのは、サクラ・モヒラの定番となったサリーの布を使った袋2種類、小さなポーチ600枚。いつになったら届くことやら・・・

 一人の女性が力をつけて、縫製の教師よりも頼りになるようになった。次は少し大きな物を注文しようと計画中である。

 

 なんと生産を頼んでいるクムディニという福祉トラストが、日本のビッグサイトに出店するそうだ。ワールド・ギフト・ショーという催しで、9月2日から5日までの期間である。出張してくる二人は初めての日本ということもあり、緊張と喜びで興奮していた。手伝いを頼まれたので、この期間はビッグサイトのアジアのあたりにいます。
 現地の人たちの手仕事はすばらしいから、日本との商談がうまく進むように祈ります。

 夏用に頼んだ服も部分的に美しく仕上がっていた。手織りの綿、絹、絹と綿の混紡の素材はとても気持ちがよい自然素材だ。季節に間に合って届けばなおさらよいが、あまりにも多くの手仕事なので、文句もほどほどにしておこう。相手も少々片腹痛し、と感じている節がある。そのあたりは適当にぼかして、なんとなく相殺とするのがやり方のようだ。こちらにもオーダーの生産量が少ないという弱みがあるから、まずはおとなしく様子を見ることにしよう。
 仕事から察するに、マスターテイラーのレベルまでは理解できるが、お針子の段階でミスが生じるようである。あまりにもばかげた失敗も含め、逐一指摘することにしているが、かような苦情は日本からゴマントクルそうである。苦情の多さに耐えかねて、生産部門の部長は言うのだ。「ヨーロッパでは1,000のうちの10%の間違いは目をつぶってくれる」、そうだ。その気持ちはわかり過ぎるほどわかるけれど、私のところは少ないオーダー数のすべてが欠陥品です。しかもポケットがヘムにとじ付けてあったり、ボタンが牡丹の花びらのごとくに落ちたり、というようなただの不注意の欠陥です。

 次のシーズンに向け、絹の刺繍生地のビッグブラウス、絹のジャケット、手織り綿の手刺繍をデザインしたブラウスなどが注文品である。秋とか冬に届くといいけれど・・・

 クムディニとは別に自然素材、草木染めを手がける業者が加わった。これから染められる生成り綿、絹のショールなどもあるので、自然素材好きな人や「染」をする人向きである。3種類の草木染めでナプキンを3種類注文してきたが、モンスーンの時期であり、9月から始まるラマダンを考慮するといつできるかはわからない、という応えであった。注文してから1か月以上が過ぎた今、雨降りの日が続いているのか、雪がふったのか、業者からは“なしのつぶて”である。

 
 10年目を模索するサクラ・モヒラの活動である。最貧層の女性たちで組織する互助会
のサクラ・モヒラ・ショミティはもう一人歩みを始めて行くだろう。縫製のプロジェクトはこれから育てる部分。学校も、教師の数はそのままにして、本、教材を揃える方向に切り替えた方がいいのだろうか。学校に来ない子どもはどうしたらいいだろう。ほんとはそこまでは義務がないけれど、長い年月、村のことがらに手を染めていると、外部人だから見えてくる部分もある。例えば、国の人は10歳くらいの子が安値でたたき売りでもされるように都市の家庭で住み込みの手伝い人になっても、貧しい家の子だからしかたがない、と当然と捉える。免疫のない私たちは、子どもたちが一介の安い労働者となる事実に胸がちくちく痛む。教育面のことも心配になってくる。
 周りにいるそのような住み込みの子どもたち、若者たちは、わずかなお給金を村の親に送金している。衣類はもらいもので間に合わせ、食事も雇い主から許可のでたものだけを食べている。御馳走を作りながら、彼らが食べるのはご飯に野菜のカレーが少し入ったものである。それでも空腹は抱えずにすむから幸せなのだろうか。運転手は鶏肉などの動物性蛋白質にもありつけることがある。彼らは裕福な人とともに、聖なる金曜日も、ラマダンの時もアラーの神にかしこまって祈るのだ。なにを祈ってくるのだろうか。今年のラマダンは9月1日からということだ。
 関わる年月が長くなるほどに、かかわる人たちも増えている。ダッカ大学でイスラム学を修めたエモン君は28歳だが、親が決めた婚約者のことも忘れて、日本語の習得に余念がない。アルバイトに日本語の教師をしながら、なんとかして日本に行けるチャンスをさぐっていても、目前に立ちはだかるのは資金の高い壁だ。彼には時々通訳を頼むのだが、彼は日本語の練習到来とばかりに万難を排して引き受けてくれる。今回は母校のダッカ大学を案内してもらった。彼の日本語の生徒さんは、食品加工の仕事の勉強で、9月から日本にくるそうだ。
 日本に8年、日本で専門学校を終えたUさんはある自動車部品の会社に職を見つけ、3年が経った。ナラヤンプール村小学校の教育係アンワー・ホッサンの長女に彼の親が結婚話を持っていったそうである。アンワーはダッカに住む弟のメイルを通して、会ってどのような人物か見てくるように、と私に指示してきた。
 会ったあと、とてもよい青年です、と返事をしてもたもたしていたら、U君から「問題ができました」と電話があった。なんと仕事が減じた自動車部品の会社は彼を突然解雇したそうだ。「仕事上の問題ではなく、あくまでも査証の長く残っている人2人を従業員として雇用し続け、残り8人のバングラデシュ人は終わりになった」ということだ。「査証の再申請までの1ヶ月間、サクラ・モヒラで雇ってください。料理は自分で作るし、ビールも飲まないので1か月10万円あれば暮していける」と主張したが、悲しきかな、サクラ・モヒラにはその力さえもないではないか。「商売を始める元金がほしいので、もう少し日本で働きたい」と絶叫していたけれど、どうしたことだろうか。
 
このようなことを書きながら、サクラ・モヒラが直面する問題も、時とともに変わったものだ、と認識せざるを得ない。
 つぎの10年ははたしてどのようなお知らせができるだろうか。
 

★ #10でオフィスができたいきさつを紹介しましたが、皆さんに喜んでいただいています。
  英語のクラスも始まって、地域の方たちが勉強しています。
  クーポン券でご都合に合わせて時間を取ることもできるので、ぜひお運びください。
   オフィスの時間: 1時 〜 6時   原則的に英語のクラスは1時前、6時過ぎ
    〒330-0071 さいたま市浦和区上木崎T−9−20 (京浜東北線与野駅西口徒歩1分
      Tel 048−832-4625

★ 木綿、絹の生成りの素材のショール、布を仕入れました。
   染色の素材などにご利用ください。手織りの風合いが気持ちよい素材です。

★ 少しずつ品物が届き始めます。
            絹のジャケット・・黒/ 薄い茶色
            手織り綿のブラウス・・・手刺繍のテーマは“ざくろ”
                          前立てに白いアプリケ
            草木染めのシャツ/無地 絹/綿の混紡 柔らかな茶系お楽しみに。

★ サクラ・モヒラのレポートは初めから、http://www.sakuramohila.com/about/report.htmlでお読みいただくことができます。
   プリントをご希望の方はご連絡をお願いいたします。

最後になりましたが、ナラヤンプール村の人たちにお寄せくださいましたご好意、感謝申し上げます。

発行:Sakura Mohila
〒330-0071 さいたま市浦和区上木崎T−9−20
        友光ビル2F (京浜東北線与野駅西口徒歩1分)
          Tel 048−832-4625  Fax 048-830-1709
          E-Mail : sakura_mohila@yahoo.co.jp
          HP : http://www.sakuramohila.com/
 
ページTOPへ
Copyright Sakura Mohila All Rights Reserved.